17歳 - 大人になる。理性と感動の間、変化する寄り道。
8 曲 / 29 分 43 秒
2025-6-14 17歳
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音楽の幽霊/初音ミク
1/8
ちょうど一年前くらいには大好きだった曲、それらに、いつのまにか感動できなくなっていた。
心が、表情が、あんまり、動かない。
いや、いやそんなことない、きっと何かは動いている。
でも、あの時ほど大きく動かない。
あれほどの感動はないのだ。
「音楽が死ぬ」ってなんだろう。
音楽の幽霊を聴きながら、いつもそんな風に考える。
誰にも歌われず、聴かれず、触れられることのない音楽だろうか。
作った人がその音楽のことを忘れてしまった時だろうか。
その音楽が好きだった人が、音楽を忘れてしまった時だろうか。
死んだ音楽が、昔歌ってくれた人のところへいくなら、その距離はいくらだろうか。
彼らが昔歌ってくれた人のところへいけば、その人は歌を思い出すだろうか。歌ってくれるだろうか。
大切な人が亡くなったら、悲しい。
だけど、そのあとも、その人のことをずっと考え続けるわけにはいかない。
心の奥底にしまい込んで、何か似たものに出会った時に、ああ、あれ、あれぇ、、なんだっけなぁ、なんて言ってみる。幽霊には残酷なことかもしれない。
それでも幽霊は、その人のところへ行くのだろうか。 -
スキキライメモリーズ / Camelots feat. 初音ミク
2/8
日常の中のささやかな余白。そして冒険。
「今日は少し違う道で帰ろう」
そんな風に言える余裕がなくなってしまった。
人は「忙しい」と感じると、感情を抑えこむことで楽になろうとするみたいだ。
初めて出会う曲にもまた、あまり心が動かない。
僕は、この曲を「好き」なのだろうか?
画面を前に、理屈っぽいことを考えてしまう。
現在を大切にする余裕が少しずつ、なくなっていっている。
心を追い越す速度で日々が過ぎていく。
目の前の物を、ひとつひとつ理性で納得していく。または妥協していく。
好きや嫌いってなんだろう。
VOCALOIDが感情を理解しないことの題材にもされるテーマ。
ぼくに解らないっていうのに、機械に解るわけないよな。
好きな食べ物も嫌いな食べ物も、聞かれたら少し困ってしまう。
僕は音楽が好きなんだろうか?嫌いではないだろうな。
でも、僕が音楽を聴いている理由って、周囲の環境が音楽を聴くことに適していただけじゃないか?
そんな風に考える。 -
ukiyojingu+結月ゆかり『word』(新編集版)
好き、嫌いという言葉は、勝手にどこかの人間が作っただけで、そこに綺麗に合致する自分なんて存在しない。
言葉は記号。表しきれない心象が巡る。
それでも、記号で区別して分類しなくちゃ、言葉と認識で生きる人間は生きて行けない。
「どこまで行っても本当ではないという妄想が付きまとう」
でも、僕は表現することをやめられない。 -
体言止め / 初音ミク
4/8
誰かが「言葉で表しきれない」を表現の放棄だと批判する。
僕はどうにかして表現しようと、自分の短い経験の中から似通ったものを探して、140字に満たない短い文章の中で音楽をまとめようとする。
形容し、自分の中に潜む、感情といえるのかわからない繊細な化学的反応を、紙や画面に吐き出していく。
——この言葉で、良かったのかな。
表現を止めるのも、また表現なのかもしれないな。
「止めて、止めて、言葉を。」 -
きらいな人/歌、開発コードmiki(再録)
5/8人間には色んな側面がある。だから一言で表すなんてできない。
一言じゃ表せないから、人々は人間の色んな側面を細分化した。
アリストテレスは分類によって学問を確立させ、"専門分野”ができた。
そうやって、様々な事象を定義する言葉が新たに生まれた。
今のこの心象を表現するため、僕は言葉を選ぶことが出来る。
しかし、選択するということは、つまり何かを捨てて一度は見ないふりをするということ。
選択をし、その専門に集中してみると、専門的な視界は深く広がっていくが、その視界の外を忘れてしまう。
人はこの視点を、日常的にかかわる人にも向けていく。
この人はこうだ、ああだ。
だから好きだ。
だから嫌いだ。
ひとつがこうだと決めてしまうと、全体がこうだと推測してしまうのも人間だ。
誰かがこれを偏見と呼んで、また誰かが偏見をやめようと叫んだけれど、人間はそう見てしまうものだから、なくすことはできない。 -
ただ選択があった/重音テト
6/8
選択したものとその結果だけが後に残り、選択時に悩んだことや妥協点は、大抵忘れてしまう。
定義に内包しきれない要素や、入りきらない要素を、僕はどう考えていたのか。
それこそが生きる選択に於いて重要なものかもしれない。 -
大ニュース ft. 可不, 知声
7/8
最近、意識してテレビをつけるようにした。
これまでずっと、テレビを自ら見ようとしてこなかった。
バラエティ番組は小学生の時見たよりも、笑い声が騒がしく感じる。
だから、それらはすぐに消す。代わりに、ニュースとか、教育番組とか、そういったものを見てみる。
そうしてみると、忙しくて、寄り道できなくなっていた僕に、感動が灯った気がした。
虱は付着する場所や動物によって種類が違う。
あの国の大統領選挙はこういったことが重視されている。
今日本ではこういったことが主に取り上げられて議論されている。
そういったニュースが、触れてこなかったものが、面白かった。
朝ごはんの十数分だけでも、テレビをつけることにした。
寄り道が出来なくても、イヤホンを失くして電車で音楽が聴けなくても、ここに隙間を見つけられた。 -
セルフカット / 川﨑ノーチラス feat.可不
8/8
いつもなら、髪を短く切っていた。
最近は忙しいから切っていない、というのは言い訳で、いつもより長くしてみたら少し、伸ばしてみたくなったのだ。
だけど、ある権力へ抵抗として昔の自分が短くした髪なので、今もそんな言い訳をしてしまう。
しかし、やはり首の後ろが暑い。
さあ、さてと、これからこの自分をどうしてやろうかな。
そんなことを考えながら、少しだけ、鏡を見てみる。
僕は今、僕という人間が面白くて仕方ない。
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