つづらVol.1「2025冬の100選」
100 曲 / 330 分 3 秒
2025年11月~2026年1月の100選。ボカロP被りなし。
「つづって、つらねる」ボカロwebマガジン『つづら』Vol.1に掲載中
こちらからご覧いただけます→https://note.com/ayame_6th/n/nc9df9981a99a
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AIひろゆき X 初音ミク X pepensow * update to reboot
AIひろゆきを使った楽曲。誰かがやると思っていた。でも、ポストアポカリプスの世界に残っているのが「ひろゆき」なのはちょっと嫌じゃないのか。そんなことないか。
信じられないことに、ひろゆきの声が優しい。ミクの声を支えてくれている。数多の人間を正論で斬り続けてきた声帯とは思えない。ネット遺影のようなサービスは、自分の分身をデータとして残すけれど、すべてがコピーされるわけではなく、自分の一面を切り取るに過ぎないのだということを教えてくれる。ひろゆきはひろゆきで、AIひろゆきとは別物なのだ。テッド・チャンの短編集にも、似た話があった気がする。 -
ARQETYPE / MEIKO+Sohbana
スマートフォンゲーム「プロジェクトセカイ」のコンピレーションアルバム「セカイノオト」収録曲。「ゲームのキャラクター」としてのMEIKOと、「バーチャルシンガー」としての彼女を繋ぐ楽曲だと思う。ゲームの中の彼女は、ティーンの少年少女たちに助言する、良きお姉さん。バーチャルシンガーの彼女は、初の日本語ライブラリ(ARQETYPE:原型)。彼女が悩んだ時は、誰に頼るのか? 物語に登場することはなくても、MEIKOには、たくさんの「マスター」がついている。子供に向けるのとは別の顔(ペルソナ)を纏う彼女は、まさしく大人なのだ。「ARQETYPEに威厳など要らない/多少は要るけどあるだけでいい」という言葉が特に好き。
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【Mitchie M×OSTER】歌の棲む家~メゾン初音~【初音ミク】
過疎化したボカロシーンを憂う曲はたくさんあるけれど(その話もどこかでしたい)、OSTERさんがこんな曲を作っていることは知らなかった。「シェアハウス」という例えは新鮮だったけれど、歌詞を聞くと「確かにそうだ」と思う。夢を抱いてやってくる人がいて、居着く人もいれば、出ていく人もいる。それはただの生活の営みで、寂しいことではなかったのかも。
きっと、リスナーも同じだ。この曲が出た2018年は、私もボカロから離れていた。でも、気づいたらこうして戻ってきている。メゾン初音には、わたしたちの部屋もあるに違いない。 -
【アニメMV】クランベリーパレード / 初音街
生成AIが作った「夜の遊園地」「架空のデパート」みたいな動画を見るのが好きです。ピエロの生首や、伸び縮みする雲のような生き物が、夜の遊園地をパレードしたり、アーケードゲームが並ぶ無機質な廊下の様子が続く動画です。ファンシーなのに、なぜか不安な気持ちになるのですが、この曲にも同じものを感じています(まいまいごえんのテーマソングかと思った)。
「うちになんか帰りたくない」「ここいがいはまっくらかもしれないね」
曲調は底抜けに明るいはずなのに、ところどころが不穏。「よるのゆうえんちアレンジ」も聴くべき。レイ・ブラッドベリの「何かが道をやってくる」とかも思い出しました。 -
きっちん・りわーず・とぅでい feat.氷山キヨテル
こんなんボカロ界のボブ・ディランやで。(太字)
歌詞がとにかくすごい。何を食ったらこんな文比喩が思いつくんですか?あ、目玉焼きとハイボールですか。分かりました。 -
きらいな食べ物/初音ミク
昼休みになっても給食を食べ終わらないクラスメイトがいた。苦手なものがあるのだろうか。昼休みが終わる間際まで、食べ終わらない日もあった。先生に叱責されているのを何度も見たことがある。その苦痛は、消えない傷になる。古典の授業、化学の授業、終業時間……どんなに時間が経っても、癒えない。ことあるごとに、「自分は給食を食べるのが遅かったな」という劣等感は、顔を出すのだろう。
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アロマ feat. 鏡音リン (・鏡音レン・flower) / Kandie
投稿者コメントには「恋をしない子の歌です」とある。セクシュアリティの話かどうかは分からない。「恋をしない」というのは、「僕」の選択だ。現代社会において、その選択には(未だ)勇気が要る。
誰かの近くに寄って「うお、この人ってこんなにいい香りなのか」と知るとき、その人の新しい側面を知った気がする。しかし相手は、こちらに機を許して体臭を開示しているわけではない。物理的に近づくことと、相手の内面を理解することは、イコールではない。
世界は「恋をする子の歌」にまみれている。
だから、この曲がこの世にあることに、「ありがとう」と思う。 -
タイムイズマイン / 重音テト(真島ゆろ)
「タイムイズマネー」という言葉は好きじゃない。そこには、「生産性を上げること以外は無意味」というニュアンスがある。私のように、どんくさくて、文学を好むような人間は、どちらかというと「無駄」サイドに属しているので、なんとなく気まずさを覚えてしまう。
それが、二文字変えるだけで「タイムイズマイン:時間は私のもの!」になるのだ、というのは目からウロコだった。言葉も人生も、ちょっと視点変えるだけで、楽しくなるのかもしれない。 -
デラシネ / KEI feat.小春六花
「デラシネ」は「根無し草」の意味。だけど「どこにでも行ける」「自由だ」と繰り返す「僕」は、本当は、どこにも行きたくなかったんじゃないだろうか。
一つの場所に根っこをおろして、みんなで椅子取りゲームを楽しみたかったんじゃないか。「僕」が繰り返す「自由」という言葉には、とても深い傷があるように思える。
でも、その「傷」と、どこにでも行ける身軽さが好きだ。
どうしようもない絶望に、KEIさんの歌は扉をくれる。絶望は消えないけれど、扉から漏れる光は、苦しみに終わりがあることを教えてくれたから。 -
初音ミクが描けない
バーチャルシンガーのことを「ただの音楽ソフト」と言うクリエイターもいれば、トップアイドルだと言う人もいる。
なぬりそさんの「初音ミク観」はすごい。
初音ミクはただの音楽ソフトであり、群がる人々がナルシズムを押し付ける『現象』である。
なぬりそさんは、言葉では、そう言う。でも、曲の方は、ぐらぐら煮えた熱い思いでいっぱいだと思う。勝手な感想だけれど。
初音ミクは、ただの楽器かもしれない。でも、長く向き合えば、楽器にだって愛着がわく。
「人工を拝し」ているファンも、初音ミクが現象であることを分かった上で、あえて狂乱している。
純愛です、これは。マイリス巡回推奨。

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